いしべ | ||||
水口 | 草津 |
石部 「目川ノ里」 |
広重ポイント
滋賀県湖南市 栗東市目川の元伊勢屋跡 |
石部宿よりも草津宿に近い目川立場で、名物「目川菜飯田楽」を出す元伊勢屋(岡野屋)を描いている。菜飯とは刻んだ青菜を入れて炊いた塩味のごはんで、田楽とは豆腐を串に刺し、味噌を塗って焼いたもの。 田楽茶屋は、この元伊勢屋と古志ま屋、京伊勢屋の3軒のことを指す。 写真はの元伊勢屋跡を撮影。 |
「旧東海道」道標 |
三雲城は猿飛佐助のふるさと。 猿飛佐助は甲賀流の忍者で、真田十勇士の一人。 |
「大沙川隧道」 明治17年(1884)築造。 トンネルの上には川がある。 橋上の川を天井川という。 |
「大沙川」 大沙川隧道の上を流れる天井川。雨の後は水が流れるそうだ。 |
「夏見一里塚跡」 日本橋より115里目。 |
「由良谷川隧道」 明治19年(1886)築造。トンネルの上には天井川の由良谷川が流れる。 |
「家棟(やのむね)川」 明治19年(1886)築造の家棟隧道があった。天井川であった家棟川の平地化に伴い、昭和54年(1979)に姿を消した。 |
「高木陣屋跡」 文化年間(1804~17)に二階建ての陣屋を建てたが、明治維新後取り払われた。 |
「東の見附跡」 幅3m、高さ2mの台場であり、道路の中央付近まではみ出していた。 |
「三大寺本陣跡」 寛永5年(1628)から明治3年(1870)までの242年間、焼失再建を繰り返して営業した。 |
「いしべ宿驛」 石部本陣跡地に建っている休憩所。 |
街道沿いの広重の浮世絵。 |
「小島本陣跡」 「明治天皇聖蹟」 慶安3年(1650)に創建され明治天皇も宿泊された。 |
「田楽茶屋」 立場茶屋を模して平成14年(2002)に再現された。 |
「西の見附跡」 |
「石部宿」碑 整備された公園に建つ。 |
「下道(古道)」 天和2年(1682)大洪水により東海道が消滅したため、 南(山)側を通る上道(新道)が造られた。 明治4年(18717)に今までの東海道が復元された。 |
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「史蹟 舊(旧)和中散本舗」 道中薬「和中散」を製造販売していた「ぜさい屋」。徳川家康が腹痛を起こしたときこの薬で治ったので、家康から直々に名付けられたと伝わる。 |
「東海道一里塚」 六地蔵の一里塚。日本橋より117里目。 |
「三上山」 旧東海道から北側を望む。 |
「肩かえの松」 旅人足などがこの松の下で休憩し、荷物を担う肩をかえた場所。 |
旧東海道沿いの旧家。 |
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「東海道」道標 「東海道手原村 田楽茶屋 すずめ茶屋跡」 |
「東海道 やせうま坂」道標 |
「東海道一里塚」 目川の一里塚。日本橋より118里目。 |
「田楽発祥の地」 目川立場 田楽茶屋元伊勢屋 岡野家屋敷跡 |
「目川田楽 古志ま屋跡」 |
「目川田楽 京いせや跡」 |
水口 | 草津 |