かめやま | ||||
庄野 | 関 |
亀山 「雪晴」 |
広重ポイント
三重県亀山市 京口坂橋 |
冬の晴れた日に、西側の関宿方面からやって来た大名行列が、亀山城が見える場所に建っている京口門に向かって歩いている様子を描いている。 写真は滝川に架かる京口坂橋から京口坂、亀山城方面を撮影。 往時の京口坂は、現在の京口坂橋の下を右から左に交差して登る急坂であった。 |
「旧東海道」 地面に埋め込まれた案内板。 |
「和田の一里塚跡」 日本橋より104里目。北塚が復元されている。 |
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亀山宿の町並み。 「どうぐや跡」「」たばこや跡」など、往時の店舗跡が掲示されている。 |
「江戸口門跡」 延宝元年(1673)に築かれた門。土塁と土塀で囲まれた曲輪(くるわ)が築かれ番所が置かれていた。 |
「樋口本陣跡」 東町の問屋を兼ねた。 |
「高札場跡」 |
「亀山城大手門跡」 東海道に直面する亀山城の正門。 |
旧東海道沿いの風景。 |
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「史蹟 亀山城趾」 天正18年(1590)岡本宗憲が築城。 江戸時代は伊勢亀山藩の藩主の居城となった。 この時期城は幕府の宿所としての役割があり、 上洛する徳川家康、秀忠、家光などが本丸を休泊に利用している。 |
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「東海道 亀山宿」碑 |
「西町問屋場跡」 家業が米問屋の若林家が務めた。 |
「亀山城西之丸外堀」 城の外周を取り囲む亀山城外堀の一部で、特に東海道と外堀が並行して接する場所にあたる。 |
「京口門跡」 寛文12年(1672)に築かれた滝川左岸の崖上の門である。 |
「京口坂橋」 大正3年(1914)、この橋が架けられたことで坂道を登る旧東海道の道筋は途絶えてしまった。 |
京口坂橋のたもとの旧東海道付近に建つ広重の浮世絵。 |
京口坂橋から関宿方面を望む。 |
「森家住宅」 町家的な建物が残っている国有形文化財。 |
「史蹟 野村一里塚」 日本橋より105里目。 |
「布気皇館太(ふけこうたつだい)神社」 参道には66基の常夜燈が並ぶ。 |
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