ふじかわ | ||||
赤坂 | 岡崎 |
藤川 「棒鼻ノ圖(図)」 |
広重ポイント
愛知県岡崎市 岡崎市市場町から岡崎宿方面 |
藤川宿の東側の出入り口である棒鼻を通過する八朔御馬進献(やつさくのおうましんけん)の行列を描いている。毎年8月1日に江戸幕府が京都の朝廷に馬を献上する行事である。 平成元年(1989)、歌川広重の浮世絵を倣って境界を示す榜示杭、高札、道の両端に石垣を積んで、土を盛った宿囲石垣が再現された。 |
「東海道」道標 |
「名古屋鉄道舞木検査場」 「名鉄名古屋本線」 |
「東棒鼻跡」 榜示杭、高札、石垣を再現。 |
東棒鼻付近で民家の軒先を通る旧東海道。 |
「秋葉山常夜燈」 寛政7年(1795)建立。 |
「藤川宿の高札場跡」 |
「藤川宿本陣跡広場」 藤川宿は規模が小さく、近くに大きな岡崎宿があったことから本陣、脇本陣の経営は厳しく経営者の交代を繰り返した。 最後は森川家が務めた。 |
本陣の裏手には畑を囲っていた石垣が残っている。 |
「橘屋脇本陣跡」 大西家が務めた。江戸時代の門が残っている。 |
「西棒鼻跡」 藤川宿西側の出入り口。 |
「藤川宿の一里塚」 日本橋より79里目。 |
「藤川宿」道標 |
「藤川宿」案内板 |
「常夜燈」 |
「西大平藩陣屋跡」 大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)が大名となってから 明治まで、三河の領地を治めるために陣屋が置かれた。 大岡家は家臣と共に江戸に常駐する大名だったので参勤交代はなく、 この陣屋に詰めていた家臣は少なかった。 |
|
「史蹟 大平一里塚」 日本橋より80里目。 南の塚が残っている。北の塚は昭和3年(1928)に道路改修のために壊された。 |
「秋葉山常夜燈」 |
赤坂 | 岡崎 |