にっさか | ||||
金谷 | 掛川 |
日坂 「小夜ノ中山」 |
広重ポイント
静岡県掛川市 小夜の中山峠から金谷宿方面 |
小夜(さよ)の中山から金谷宿方面に続く坂道を誇張して描いている。 道の真ん中にある石は「夜泣石」。この石の傍らで妊婦が殺され、その際に赤ん坊が生まれた。赤ん坊を想う女の霊が石に乗り移り、夜になると石が泣いたと言われている。 青く見える山は富士山である。 小夜の中山峠付近で金谷宿方面を振り返って撮影。 |
「夜泣石跡」 妊婦の霊魂が移り泣いたという石(夜泣石)が、明治元年までここの道の中央にあったが、明治天皇御東幸のみぎり道脇に寄せられた。その後明治初年東京で博覧会があり、出品された帰途、現在の位置に移る。 現在の位置は国道1号小夜の中山トンネルの東側。 |
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「二の曲り」 小夜の中山の峠道。東海道の難所の一つとされる。 最高地点の標高252m。 |
「秋葉常夜燈」 安政3年(1856)建立であったが、老朽化が進んだため平成10年(1998)に撤去・復元した。 |
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「日坂宿 本陣跡」 屋号は「扇屋」で、代々片岡家が世襲で営んでいた。 嘉永5年(1852)火事で全焼、再建後、明治3年(1870)に店を閉じた。 明治12年(1879)日坂小学校の校舎として利用されたが現存していない。 |
「問屋場(といやば)跡」 |
「脇本陣「黒田屋」跡」 大澤家が務めた。 明治2年(1869)、11年(1878)に明治天皇が小休止された。 |
「藤文」(ふじぶん) 日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七の家。「藤文」は屋号。 |
「旧日坂宿旅籠「川坂屋」」 嘉永5年(1852)日坂宿大火後に再建された。 |
「高札場」 掲示されている8枚は天保年間(1830~43)のものを復元。 |
「下木戸(しもきど)跡」 古宮橋が架かる境川のこの場所が門の役割を果たしていた。 |
「東海道伊達方 一里塚」 日本橋より57里目。 直径13m、高さ5mの小山が街道の両側にあった。 |
足の裏にマメができて痛い。これから長い間悩まされることに。 |
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