しまだ | ||||
藤枝 | 金谷 |
「東海道(上青島) 一里塚趾」 日本橋より51里目。 |
「升形跡(宿東入口)」 東見付跡。ここに80㎡の升形見付があった。 |
「東海道島田宿 一里塚阯」 日本橋より52里目。 左 川会所 2.4km 右 栃山土橋 1.3km |
島田宿の町並み。 |
「島田宿 本陣跡 下本陣」 3ヶ所ある本陣のうち一番東に位置する。 下の写真は下本陣跡に通る「おび通り」。 |
「島田宿 本陣跡 上本陣」 下本陣の西隣に中本陣、その隣に上本陣があった。 本陣を務めた家 ・下本陣 置塩家 ・中本陣 大久保家 ・上本陣 村松家 |
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寛永12年(1635)頃、参勤交代が制度化されると、幕府は各宿場の広い家屋敷を持つ裕福な家を「本陣」に指定した。 当主には名字帯刀が許され、立派な門、玄関、書院(上段の間)を設けることが特権として認められた。 |
明治の道標 「東 六合村境迄 十八町十六間 青島町に至る」 「北 向谷・・迄 十四町一間 ・・・」 「西 大井川渡船場迄 二十四町六間 川根に通ず」 「南 島田驛迄 一町 第一街青年会」 |
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「島田宿」道標 この先に大井川川越遺跡の町並みがある。 |
「上段の間が現存する塚本家」 九州肥前(長崎県)の大名大村藩によって建てられた家。 |
「島田市博物館分館」 右の塀に囲まれた建屋。 |
「立合宿」(たちあいやど) 旅人を案内する立会人が休憩や会合したところ。 |
「川会所」 川越の料金を決めたり、川札を売ったりした事務所。 |
歩いてきた遺跡の町並みを振り返って撮影。 |
「せぎ跡」 ここで大井川から溢れた水を食い止めた。 |
「国指定 島田宿大井川 川越遺跡町並」 島田市博物館前。到着は17時を過ぎていて、見学はできなかった。 |
「大井川」 川越遺跡を過ぎて金谷宿方面を望む。 |
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「大井川橋」 写真左 上流方面を望む。 写真右 大井川橋の歩道から金谷宿方面を撮影。 昭和3年(1928)架設の旧国道1号線。全長1026.4m。 |
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