はこね
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箱根 「湖水圖(図)」
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広重ポイント tkd53神奈川県足柄下郡箱根町
恩賜箱根公園から芦ノ湖
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浮世絵には、空の白さと同化していて判別しづらいが白い富士山が描かれている。
芦ノ湖越しに富士山が見える位置から右手には、描かれているような崖は存在しない。箱根の坂の険しさを表現するためにデフォルメして描いたのだろうか。

下調べしておいた広重ポイントは草木が生い茂っており、浮世絵に描かれているような風景は残念ながら見られなかった。写真は恩賜箱根公園から撮影した霧の芦ノ湖。天気が良ければ左側に富士山が見える。

第6日目 2016/4/2(土)

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箱根馬子唄の碑
箱根八里は馬でも越すが、
 越すに越されぬ大井川
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史跡箱根旧街道
石碑と石畳
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権現坂
箱根神社に通ずる下り坂。僅かだが正面に芦ノ湖が見える。
広重ポイントと思われる場所だが、草木が生い茂っており見晴らしが悪い。


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芦ノ湖
上の写真は旧東海道から少し外れて芦ノ湖方面を写す。
右の写真は芦ノ湖と湖畔の風景。土曜日ではあるが、18時を過ぎると人気は無い。
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第7日目 2016/4/3(日)
Start 12:59 曇り 10℃ 元箱根港バス停 ~20.6km~ End 20:51 三島大社前
箱根・三島
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↑ Clickすると別窓にマップを表示 ↑       tkd53は広重ポイント

朝、妻の実家で目覚めると雨が降っており、止んだのは10時過ぎ。一日空けるか悩んだが、夜も歩く覚悟で芦ノ湖に向けてバスで移動。

tkd53芦ノ湖付近は霧が多く見晴らしが悪い。
気温も低くジャージを着用。
昼食は、芦ノ湖のレストハウスで蒲鉾たこ焼きを食べる。
右足の甲の痛みが相変わらず続いており鎮痛薬を服用する。

芦ノ湖から箱根峠まで登ると、いよいよ西坂の下りが始まる。箱根湯本から箱根峠までの東坂より石畳の個所が長い。改修中で一部通行不可の石畳区間があり、日没を迎えて内心ほっとした。

坂を下りきる前に日没を迎え、真っ暗闇の旧道をネックライトを点けて歩く。誰もいない山間部の夜道は心細くて怖い。
三島近くまで下ってくると整備された新道の松並木に沿って石畳の旧道が続く箇所があり、写真撮影を試みたが暗くて断念した。

tkd53本日泊まる健康ランド「万葉の湯 沼津・湯河原温泉」にはJR三島駅または沼津駅から送迎バスに乗るつもりだったが、tkd53時間的に最終便にも乗れず、三島市街からタクシーで移動する羽目に。タクシー代約2,000円。

夕食は宿泊先でしらすおろし、川海老唐揚げ、枝豆等とビールで済ます。
  



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箱根旧街道の一里塚
葭原久保(よしわらくぼ)の一里塚。
日本橋より24里目。
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箱根旧街道杉並木
徳川幕府が旅人に木陰を与えようと道の両側に植えたもので、東海道では唯一のもの。
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江戸口御門


高札場を模した表示板
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江戸口御門越しに見える京口御門


大番所
箱根関所
江戸幕府によって元和5年(1619)に設置され、入り鉄砲に出女を重点的に取り締まった。
元和4年(1618)箱根宿が制定された翌年に設置され、明治2年(1869)まで続いた。
平成19年(2007)に江戸口、京口の両門と大番所、足軽番所が復元された。
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道路に埋め込まれた案内板
    箱根八里 東坂
  箱根関所跡 0.5km
  三島宿 14.5km
    箱根旧街道
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史跡 箱根旧街道」標石

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向坂
芦ノ湖畔の箱根宿を過ぎ、再び山道に。箱根峠まで登坂が続く。
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旧国道1号線の下をくぐる旧東海道の土道
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     「赤石坂」           石畳      「釜石坂」         「挟石坂
東坂最後の坂。次は箱根峠。   
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箱根峠
ここから静岡県。
現在は神奈川県と静岡県の県境。昔は相模國と伊豆國の国境。
標高846m


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  「箱根旧街道
  ここから西坂。三島宿まで下りが続く。
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里程標
「是より江戸 二十五里」
「是より京都 百里」
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箱根旧街道道標
「箱根関所跡3km」
「三島宿 11km」

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接待茶屋」跡
文政7年(1824)に旅人や馬子達の避難場所として人馬施行小屋(接待茶屋)が設けられ、ボランティアで粥などを振る舞った。
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史跡 箱根旧街道」標石

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かぶと石
豊臣秀吉が小田原征伐に向かう際、ここで休憩して兜を置いたとされる石。
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明治天皇御小休趾
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左 明治天皇御小休趾(行止り)
右 旧東海道 三島宿方面
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念仏石
この石の前に「南無阿弥陀仏・宋閑寺」と刻んだ石があり、旅の行き倒れを供養したと言われる。
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民家の庭先を通る旧街道
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庭先で、歩いて来た道を振り返って撮影
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道標
山中城跡・三島宿
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幕府は三島宿へと通じる西坂を、敵の発見を容易とするために尾根道とした。

小田原宿へと通じる東坂を迎撃しやすい谷道とした。


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