おだわら
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小田原 「酒匂川」
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広重ポイントtkd53神奈川県小田原市
酒匂橋と箱根宿方面
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酒匂川の渡し風景を描いた浮世絵。水かさが少ない10~2月は仮の橋が架けられていた。
上段、下段では前方に立ち塞がる箱根山が異なっており、上段の方が荒々しく描かれている。どちらも山の麓には小田原城が見える。

写真には酒匂川に架かっている酒匂橋と、ぼんやりとしか見えないが箱根山が写っている。

第5日目 2016/4/1(金)


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小田原市街まで11km。

静岡市街まで...
まだまだ先は長い。
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相模湾
JR国府津(こうづ)駅付近。
日本橋を出発して初めて目にする海。
海沿いに見える道路は西湘バイパス。
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本日の出で立ち。

朝夕の移動時と歩き始めて身体が温まるまでは、この上にジャージを着ている。
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東海道小八幡の一里塚
日本橋より19里目。
バス停の名前も。
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酒匂川
酒匂橋から見た酒匂川上流方面。
二宮尊徳(金次郎)は川の上流に位置する栢山(かやま)で生まれ、この川の氾濫で家族離散の目に遭っている。
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東海道 小田原宿」標柱
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江戸口見附 並びに
一里塚

日本橋より20里目。
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小田原城址江戸口
見付跡
」標柱


第6日目 2016/4/2(土)
Start 11:27 曇り 12℃ 小田原市浜町 ~16.3km~ End 18:24 元箱根港バス停
小田原・箱根 
 
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自宅から横浜市営地下鉄とJR東海道線を乗り継いで小田原まで移動。
小田原駅到着後、桜の名所でもある小田原城址公園に寄り道して花見。まだ八部咲きで蕾も多いが、土曜日だけあって見物に来ている人達で賑やかだ。

桜を見て回って少々スタートが遅れた。今日は東海道一の難所と言われる箱根路を登るので覚悟して臨まなければ。
箱根湯本付近まではほぼ平坦な道を進み、本格的な山道になる直前に昼食タイム。コンビニで買った弁当を駐車場で食べ、右足の甲の痛み止めのため鎮痛薬を飲む。

tkd53石畳の古道は木々に覆われた場所のせいか、石畳の表面がうっすらと濡れており靴が滑って危ないが、ウォーキングポールでバランスを取りながら慎重に。
途中、石畳を下ってくる中年の男女十数人のハイカーグループ3組と出会い、挨拶しながらすれ違う。
所々に長い階段が出現し、息を切らしながらやっとの思いで標高800m弱を登り切った。箱根の最高地点は芦ノ湖を過ぎて下りに変わる箱根峠の場所で、標高850m弱である。
(写真はGPSロガーで記録した標高と速度。最高地点は783mと記録されている。)

事前にマークしておいた広重ポイントは草木が生い茂っており、芦ノ湖を描いた浮世絵の構図に近い写真が撮れず残念。日も暮れてしまったので翌日に別のポイントで撮影することにした。
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芦ノ湖湖畔の元箱根港からバスに乗り小田原駅まで移動。本日はここから別のバスで妻が待つ妻の実家に向かい宿泊させてもらう。



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小田原城址公園
三の丸の桜並木と本丸の天守閣
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常盤木門(ときわぎもん)
左の写真は二の丸側、右は本丸側から撮影
小田原城
難攻不落の名で有名な小田原城。明応4年(1495)に北条早雲が大森氏を討ち、小田原城を奪取してから、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めまでの100年間、5代に渡り北条氏がこの城を居城として関東全域を掌握した。
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小田原城と小田原合戦攻防図
天正18年(1590)の豊臣秀吉軍と小田原北条氏の戦いの陣地を示す地図。

秀吉側の重鎮だった徳川家康が陣を構えたのが、筆者の妻の実家の本家(右図)なのである。現在この場所には、東照宮(今井権現神社)が建っている。
また、平成28年(2016)1月にNHKのテレビ番組ブラタモリで東照宮や本家の小父さんのインタビューが放映された。


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小田原城近くのビルに掲げられた広重の浮世絵
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旧東海道小田原宿
本町
」案内表示


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小田原宿 脇本陣小清水旅館
小清水脇本陣跡
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明治天皇小田原行在所(あんざいしょ)阯」碑
案内板には明治天皇宮ノ前行在所跡との記載もある。この場にあった清水金左衛門本陣に明治天皇が宿泊されたのは、明治元年(1868)10月8日の東京行幸の際を初めとし、計5回宿泊された。
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小田原宿 なりわい交流会
昭和七年(1932)に建設された旧網問屋を再整備し、平成13年(2001)に開館した。
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済生堂薬局小西本店
寛永10年(1633年)創業、400年近い歴史を誇る老舗の薬局
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ういろう」店舗
お菓子で有名なういろうだが、元は口中清涼・消臭等に使用する外郎薬(ういろうぐすり)である。
東海道中膝栗毛の小田原の場面では、喜多八が菓子のういろうと勘違いして薬のういろうを食べてしまう場面がある。
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板橋見附
この辺りに板橋見附と呼ばれた上方見附があった。

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箱根湯本に向けて走る小田急ロマンスカー
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箱根登山鉄道


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早川の上流に向けて歩く先に、箱根登山鉄道箱根湯本駅が見える。駅の手前の三枚橋で早川を渡り、本格的な箱根路の登りが始まる。
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最初の石畳が始まる。
以降、自動車道と合流、分岐を繰り返しながら何か所もの石畳や土道を歩く。


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山桜だと思うが、春を感じることができる桜が所々に現れて癒される。
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女転(ころ)し坂
箱根道の難所の一つ。急な坂道が長く、馬に乗った婦人がこの付近で落馬し死んでしまったことからこの名が付いた。
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割石坂
曽我兄弟が富士の裾野に仇討ちに向かうとき、刀の切れ味を試そうと巨石を切り割ったところと伝えられている。
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これより江戸時代の石畳
当時のまま残っている石畳。
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接待茶屋
箱根路にはボランティアで運営された二ヶ所の接待茶屋があった。
東坂(小田原宿方面)は割石坂付近。
西坂(三島宿方面)は施行平付近。
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箱根旧街道」標柱
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大澤坂
大沢川を渡ったところで、坐頭転ばし坂ともいわれた。
当時の石畳の道が一番よく残っている坂。
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茗荷屋本陣跡
間の宿である畑宿村にある。
明治元年(1868)10月、明治天皇の東京行幸の際に小休止された。
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箱根旧街道 畑宿一里塚
日本橋より23里目。向かって右側にはモミが、左にはケヤキが植えられていた。
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山を削って国道1号(箱根新道)を通したため、旧東海道は1号線を渡る橋になっている。
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西海子坂
踏み間違えると千尋の谷に落ちるといわれた。







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tkd53橿木(かしのき)坂
道中一番の難所と言われており、東海道名所日記に次の記載があることからこう呼ばれた。
「橿の木の さかをこゆれば、くるしくて、どんぐりほどの 涙こぼる」

現在は階段になっているが、休みながらやっとの思いで登った。
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箱根旧街道 県道湯本元箱根線
道路完成記念碑

橿木坂を登り切った先にある見晴らし茶屋からの眺め。高い所まで登ってきたことを実感できる場所だ。
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追込坂
甘酒茶屋までのゆるい坂路。
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甘酒茶屋
創業350年で甘酒と力餅が名物。畑宿と箱根宿の中間に位置し、
一休みするには適当な場所であった。
当時、甘酒を提供する店は箱根八里間で13軒あったそうだ。
ここに到着したのが17時半過ぎており、残念ながら既に閉店していた。
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於玉(おたま)坂
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史跡 箱根旧街道」碑


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