なるみ | ||||
知立 | 宮 |
鳴海 「名物有松絞」 |
広重ポイント
愛知県名古屋市緑区 絞り問屋井桝屋 |
間の宿(あいのしゅく)有松の有松絞り(木綿の絞り染め)の店を描いている。手前の店の暖簾(のれん)には、広重の「ヒロ」のトレードマークと、保永堂の主人である竹之内孫七の「竹内」、浮世絵の新版を表す「新板」の宣伝がある。 有松は鳴海宿より4kmほど東にある、有松絞りで有名な町。現在も有松絞りの問屋が軒を連ねている。 |
第22日目 2016/4/19(火) Start 10:18 晴れ 17℃ 名鉄富士松駅 ~20.0km~ End 17:08 地下鉄伝馬町駅 鳴海・宮 ↑ Clickすると別窓にマップを表示 ↑ は広重ポイント |
朝食は宿泊先の和食バイキング。 歯を磨いていたら奥歯の被せものが取れたので、瞬間ボンドを買って処置。 名鉄東岡崎駅から富士松駅まで電車で移動。 昼食は鳴海宿で前夜に購入した菓子パン、野菜ジュース、ヨーグルト。 本日、名古屋入りし、宮宿まで到着予定。そう、問題箇所の宮宿。 昔は名古屋の宮宿から三重の桑名宿までは、七里の渡しといって船で移動していたが、今は船だとイベント運航とチャーター便のみで定期運航している船はない。 計画時点では「昔の人が船なら、現代人は電車を使おう。」なんて考えていたら、行く先々で交流を持った人々はこの区間はどの道を歩くかを尋ねてくる。 ネットで調べてみても、「私はここを歩いた」という記事が多く、往時でも波が荒い時や船が苦手な人が利用したという「佐屋街道」なるコースをみつけた。あとで後悔しないために、プラス1.5日、36kmの行程だがここを歩くことにしよう。 終了地点は名古屋市営地下鉄伝馬町駅。東別院駅まで進み「ホテルキヨシ名古屋」に宿泊。夕食は、名古屋に住む小学校、中学校からの旧友2人と居酒屋で。昔話に花を咲かせ、たくさんの元気をもらった。 |
「国指定史跡 阿野一里塚」 日本橋より86里目。 旧東海道の両側に二基残っており、 南塚の前には文化5年(1808)の道標がある。 |
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「史蹟 桶狭間古戦場」碑 永禄3年(1560)、大軍を率いて尾張に侵攻した駿河の大名今川義元に対し、織田信長が少数の軍勢で本陣を強襲し、今川氏を討ち破った戦の場。 |
「今川治部大輔義元の墓」 今川義元の墓。桶狭間古戦場跡地に在る。 |
服部家 絞問屋 井桁屋 小塚家 絞問屋 山形屋 |
竹田家 絞問屋 笹加 |
間の宿(あいのしゅく)有松の町並み。旧商家が多く残っている。 今の町並みは天明4年(1784)の大火後の建物。 |
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「有松一里塚」 日本橋より87里目。この辺りにあった一里塚は土地の民家への払い下げにより、大正13年(1924)に消滅。平成24年(2012)当地に復元。 |
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「平部町常夜燈」 文化3年(1806)建立。 「秋葉大権現」 「宿中為安全」 「永代常夜燈」 「文化三丙寅正月」 |
「高札場」 平成21年(2009)に復元された。 |
「史蹟鳴海城址」 今川義元の家臣岡部元信が城主を務めていたが、桶狭間の戦いで負けたため、織田信長側に明渡した。 |
「丹下町常夜燈」 寛政4年(1792)建立。 「秋葉大権現」 「寛政四年・・・」 「新馬中」 「願主重因」 |
「笠寺一里塚」 日本橋より88里目。西塚は大正の頃に取り壊された。 |
「天林山笠覆寺」(てんりんさんりゅうふくじ) 通称笠寺観音。縁結び祈願で賑わう寺。 旧友が住んでる場所の近くとのことで、親近感を覚える。 |
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