ほどがや | ||||
神奈川 | 戸塚 |
「江戸方見附跡」 江戸方見附から上方(京都側)見附まで家屋敷が街道に沿って立ち並び、宿内(しゅくうち)と呼ばれた。 |
「江戸日本橋より八里」石標 相鉄線天王町駅前公園内に建っている。 |
第3日目 2016/3/29(火) Start 13:24 晴れ 16℃ JR保土ヶ谷駅 ~11.4km~ End 17:54 JR戸塚駅 保土ヶ谷・戸塚 ↑ Clickすると別窓にマップを表示 ↑ は広重ポイント |
前日の3/28(月)は定期的に通っている病院に通院するためお休み。 当日3/29(火)は午前中にハローワークで用事を済ませ、JR関内駅から前回の終了地点であるJR保土ヶ谷駅に向かう途中、一旦横浜駅で下車。 最初痛みを感じていた左足の甲は落ち着いてきたが、今度は右足の甲が痛み始めてきたで、専門の靴屋に相談してみることにしたのだ。 その結果、普段ウォーキングで履いていたシューズは速く走るのに向いたランニングシューズなので、長距離を連続して歩くならウォーキング専用かセーフティタイプのランニング兼用のがいいとのことだった。重要なのはソールで、クッション性があるが土踏まず部分は曲がらず、指の付け根だけ曲がるタイプを薦められた。 気に入ったのはウォーキング専用のシューズだったが、合うサイズが無かったためランニング兼用の方を購入し、その場で履き替えてJR保土ヶ谷駅へ向かった。 今回はウオーキングポールは使用しているが、服装は普段着のままのである。 終了地点はJR戸塚駅。 戸塚で小田原の実家に帰っていた妻と待ち合わせしたので、時間潰しに靴屋を覗いていたら昼間の店で最初に薦められたウォーキング専用タイプを発見。 フィットするサイズがあり、思わず購入してしまう。 これを聞いて苦笑いする妻と一緒に、横浜市営地下鉄戸塚駅→上永谷駅→バスで帰宅。 |
「保土ヶ谷宿場通り」 のぼり旗 |
「高札場跡」 |
「本陣跡」 この本陣は、小田原北条氏の家臣の子孫といわれる苅部(軽部)家が代々努めている。写っているのは本陣門。 |
国道15号は神奈川宿で終点。本陣跡から国道1号沿いに進む。次の戸塚宿までは8km。 |
「脇本陣(藤屋)跡」 保土ヶ谷宿には藤屋、水屋、大金子屋の3軒の脇本陣があった。 |
「脇本陣(水屋)跡」 |
「旅籠屋(本金子屋)跡」 保土ヶ谷宿の旅籠屋の数は寛政12年(1800)には37軒、天保13年(1842)には69軒となっている。 |
「一里塚跡」 日本橋より8里目。 |
「上方見附跡」 |
「権太(ごんた)坂」 かつては今より勾配が急で、江戸を出発した旅人が向かえる初めての難所として知られた。 |
「境木(さかいぎ)立場跡」 |
「焼餅坂」 近くに名物の焼餅を売っていた茶店があったことからこう呼ばれた。 |
「品濃一里塚」 日本橋より9里目。 石碑の正面、道路を挟んだ向かいに右の写真の 塚がある。 |
一里塚は道路を挟むように左右に設置された2つで一対をなす。 |
「品濃坂」 現在、戸塚宿へ向かうにはここから階段を下る。 階段を下ると横浜環状2号線が通っており、その上に架けられている歩道橋を渡って戸塚方面へ進む。 当時江戸に向かう人にとっては、最後の急な上り坂になる。 |
「品濃坂歩道橋」 「横浜環状2号線」 歩道橋から撮影。 |
国道1号に出る手前の旧東海道。一番奥に見えるビルは筆者が入社した頃の本社。4ヶ月間ここで研修を受けてから配属になった。 |
旧東海道は、この先の分岐を戸塚駅方面に進む。 |
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