にほんばし
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日本橋 「朝之景」
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日本橋 「行列振出」
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広重ポイントtkd53東京都中央区
京橋方面(南)から見た日本橋
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よく知られている日本橋の浮世絵は上段の「朝之景」。下段のはタイトルも異なり改定版という位置付けか。
大名行列と魚をたらいに入れて歩く商人が描かれている。当時は写真の位置から橋を渡った側(北)に魚河岸があり、早朝から魚の行商人で賑わったようだ。

300年以上続いた魚河岸は、昭和10年(1935)に築地に移転し、現在の日本橋川の頭上には首都高速道が延びている。


第1日目 2016/3/26(土)
Start 10:51 晴れ 9℃ 東京日本橋 ~18.0km~ End 17:58 京急蒲田駅前
日本橋・品川・川崎

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↑ Clickすると別窓にマップを表示 ↑       tkd53は広重ポイント

満を持していよいよスタートの日を迎えた。
自宅が横浜にあるので、東京および神奈川県内は自宅を拠点として、当日の起点まで公共交通機関を利用して移動することにした。
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本日は自宅に戻るが、リハーサルも兼ねてのスタートなのでデイパックには着替えなどフル装備を詰め込んでいる。

スタート地点の日本橋までは、自宅から横浜市営地下鉄とJR東海道線を乗り継いで移動。到着したのは10時前であったが見るべき石碑が多く、小一時間を写真撮影に費やす。

日本橋から600mほど進んだ所で、浮世絵師歌川広重が嘉永2年(1849)から死去するまでの10年近くを過ごした住居跡を探したが、その一帯はビルの工事中で残念ながら痕跡を見つけることができなかった。後で調べ直すと案内板が設置されているらしい。

数日前に感じた左膝の痛みは、サポーターでガードしているおかげでtkd53問題ないが、左足の甲が痛み始めたため、品川宿商店街のドラッグストアで甲・足首用のサポーターを購入して装着。

昼食はコンビニでおにぎりを買い、品川宿の公園で食す。

終了地点の京急蒲田駅から電車に乗車して帰宅。京急蒲田駅→上大岡駅→バス。



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日本橋
慶長8年(1603)に竣工し、現在の橋は19代もしくは20代目とされている。現在は頭上に首都高速道が通っており、景観問題が議論されているなか、首都高の地下化が検討されている。
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日本国 道路元標
(げんぴょう)

日本橋のど真ん中、地面のセンターラインに埋め込まれている。

黒いシューズは当初履いていたソールの柔らかいタイプで、足の甲を痛めることに。
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東京市 道路元標」碑と道路元標の複製
日本橋の北側

日本橋は五街道の起点であり、現在も日本の国道の起点である。
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三越本店新館
日本橋北側

創業当時の名称は三井越後屋(みついえちごや)。
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日本橋魚市場発祥の地」碑
日本橋北側
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日本橋南側の交番前
満開の桜と結婚写真撮影中のカップル。

お幸せに!
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高札場」跡
日本橋南側
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京橋」跡
人工河川の京橋川に架かっていた京橋。
京橋は日本橋と同じ年に架けられている。
川は後に埋め立てられ、現在はその上を首都高が走る。
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銀座四丁目
和光前交差点。
日本一地価の高い場所 3,380万円/㎡(2015年度)
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芝口御門跡
寛永7年(1710)に建築されたが、享保9年(1724)に焼失して以来再建されず。
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新橋」跡
現在は埋め立てられてしまっているが、当時は江戸城の御堀と呼ばれた汐留川に架かっていた新橋。元々は芝口御門があった場所なので芝口橋と呼ばれていたが、焼失後に再建されて新橋と呼ばれるようになった。昭和39年(1964)まで橋が存在した。
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国道15号(第一京浜道路)を品川に向けて歩く。

明治18年(1885)最初に国道指定が行われたとき、ここが1号線だった。
現在の1号が完成した後、昭和27年(1952)に15号に改定された。

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旧新橋駅
ガラス張りのビルの前には日本初の鉄道が開業した当時の駅舎が再現されている


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