宿泊 |
日本橋をスタートしてから三条大橋のゴールまで592km、通算29日。 スタートしてから帰宅までの期間は35日間。 Walking the東海道五十三次の構想開始から踏破・帰宅まで約5ヶ月の歩き旅が終わりを迎えました。 雨の中ゴールした時には、正直言って濡れてビショビショの靴を早く脱ぎたくてしょうがなく、感動の瞬間に文字通り水を差されてしまいましたが、それでも心地よい疲労感と共に大きな達成感を味わうことができました。 あぁ終わってしまったんだという一抹の寂しさを抱きながら帰路に就いたのが昨日の事のようです。 |
帰り道はこうした 帰路 | |
出会った人達との触れ合い | |
飲むことができた地ビール クラフトビール | |
旅を振り返って思うこと 回想 | |
筆者プロフィール |
帰り道はこうした 帰路 |
帰路は深夜に走る高速バスに乗る予定でスタートしました。 静岡県の由比宿と興津宿の間に位置する薩埵(さった)峠で、富士山にかかった雲が晴れるのを待っていた時のことです。ここは名勝地なので、ハイカーやドライブの人々が何人も集まっていたのですが、この中の東京に住む初老の男性が東海道踏破の経験者であることが分かりました。 あれこれと東海道談義をするなかで帰路の経験談を聴かせてもらい、筆者も同じ手段を採用することに決めたのです。 それは... JR東海道線・普通列車での帰宅です。 旧東海道は、愛知県宮宿から滋賀県草津宿を除いた殆どの区間がJR東海道線と並行しています。 歩いてきた道をところどころ車窓から眺めることができるので、余韻に浸りながら丁度良い時間を掛けて帰ってきました。ゴールデンウィークが始まっていたので、車内は少々混雑気味でしたが、よい選択をしたと思っています。 薩埵峠で教えてくれたおじさん、ありがとうございました! |
2016.4.8 11:06 薩埵峠 |
乗り継いだ電車は次の6本です。 京都府 京都駅 → 滋賀県 米原駅 滋賀県 米原駅 → 愛知県 豊橋駅 愛知県 豊橋駅 → 静岡県 浜松駅 静岡県 浜松駅 → 静岡県 静岡駅 静岡県 静岡駅 → 静岡県 熱海駅 静岡県 熱海駅 → 神奈川県 戸塚駅 |
2016.4.29 9:31 京都駅2番線 JR琵琶湖線新快速 9:30発 長浜行 (琵琶湖線は東海道線京都~長浜間の別名) ※数分遅れて到着 |
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京都駅発 2016年4月29日(金) 9:30 所用時間 約9時間 運賃 ¥7,880 |
出会った人達との触れ合い |
訪れた先々でたくさんの方と触れ合い、声をかけていただきました。歩き旅ならではの醍醐味は人との交流であることを実感しました。 |
箱根峠登り石畳でハイカーグループのおじさん、おばさん 「こんにちは」 三島のタクシー運転手さん 「道を間違ったからメーター止めます」 沼津で犬の散歩中のおばさん 「天気がいいと富士山がきれいなのよ」 沼津の銀行員のおねえさん 「えっ、東京から歩いてきたんですか!」 原のコンビニのおじさん店員(店長?) 「気を付けて」 吉原でバイクのお爺さん 「ノルディックポール、どこに売ってるの?」 吉原で英語講師のお爺さん 「一生一度の大イベント、take it easy!」 薩埵峠で東京に住むおじさん 「帰路は普通電車を利用しても半日で帰れるよ」 薩埵峠で神戸に住むおじさん 東海道経験者 「静岡県の道は長いよ」 薩埵峠で静岡に住む初老のご夫婦 息子さんが大学進学のため秦野市で生活を始めた 駿府城公園で中年のご夫婦 天守閣跡について教えてくれた 府中で吉原に住む居酒屋店員のおねえさん わざわざ出口まで来て「頑張ってください!」 藤枝で奈良に住む77歳のお婆さん 京都から東京へ断続してチャレンジ中 袋井の案内所のお婆さん 遠くから声かけてくれた 「お茶飲んで行きなさい」 袋井で茶屋に居たお爺さん 広重の浮世絵を再現している茶屋の説明をしてくれた 見付で道端のおじさん 「京都まで行くのかぁ!?」 見付のお巡りさん 会釈してくれたので挨拶を返す 「ご苦労様です」 見付で自転車を押して歩いてたおばさん 「ノルディックポールの使い心地は?」 新居で京都に向かってウォーキング中の横須賀に住むおじさん 「一日40km歩いてるよ」(凄い!) 御油で畑仕事していたお爺さん 旧道を親切に教えてくれた「皆ここで迷うんだ」 藤川のおじさん 「青春18切符で東海道五十三次を制覇したんだよ」 宮のおじさん 道を教えてくれた 「ありがとうございました」 佐屋街道で犬の散歩中のおばさん 「この辺りにノルディックウォーキングのグループある?」 湯~とぴあ宝のマッサージ師のお兄さん 足腰のストレッチを教えてくれた 金山駅前のコンビニのおばさん くじに外れたのにジュースをごちそうさま 坂下、土山、水口の下校途中の小中学生たち 「こんにちは」の挨拶が可愛くとても嬉しい 京都の高島屋酒売り場店員のおねえさん 「この地ビールは か・る・お・すぅ~」(Lightの意) 京都の居酒屋店員のおねえさん 「エスカレーターでは前の人と同じ側に並ぶんです」 (東京は左側、大阪は右側に立ちますが、京都は決まっていなく、前の人に合わせるのだそうです) |
皆さん一人一人とは、ほんの小さな接点でしたが、筆者にとってはとても大きな宝物です。 |
飲むことができた地ビール クラフトビール |
静岡麦酒(ばくしゅ) スタイル:ピルスナー 分類:ラガービール アルコール分:5% 樽生 静岡県焼津市の サッポロビール静岡工場で製造 |
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金しゃちビール青ラベル スタイル:ピルスナー 分類:ラガービール アルコール分:5% 愛知県犬山市で製造 |
ラガービール: 低温(10℃前後)で長時間かけて発酵させたビール。発酵の終わりに酵母が下に沈む製造方法で醸造。 |
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金しゃち 名古屋赤味噌ラガー スタイル:フリー 分類:ラガービール アルコール分:6% 原料に豆味噌を使用 酒税法上は発泡酒 愛知県犬山市で製造 |
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熊野古道麦酒 スタイル:ペールエール 分類:エールビール アルコール分:5% 大麦だけでなく小麦・米も 原料に使用 三重県伊勢市で製造 |
エールビール: 常温(20℃前後)で短期間に発酵させたビール。発酵の終わりに酵母が上に浮く製造方法で醸造。 |
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ケルシュ: 非常に淡い黄金色とフルーティーな香りが特徴 |
元祖びわこいいみちビール クリア スタイル:ケルシュ 分類:エールビール アルコール分:5% 滋賀県甲賀市で製造 |
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春のアロマエール 長濱浪漫ビール スタイル:ペールエール 分類:エールビール アルコール分:5.5% 滋賀県長浜市で製造 |
ペールエール: 琥珀色でホップが多く、苦みが強い |
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インディアペールエール: ペールエールよりアルコール度が高く、やや淡い色。強いホップの苦みが特徴 |
NAGAHAMA IPA special スタイル:インディアペールエール 分類:エールビール アルコール分:6% 滋賀県長浜市で製造 |
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らんでん麦酒 スタイル:ピルスナー 分類:ラガービール アルコール分:5% 京都市中京区の京福電鉄が企画兵庫県神戸市北区で製造 |
ピルスナー: 淡い黄金色、ホップの苦みとシャープな喉越しが特徴 黒ラベル、一番搾り、スーパードライ、プレミアムモルツなども同じスタイル |
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京都 町家麦酒 スタイル:ケルシュ 分類:エールビール アルコール分:5% 京都市中京区で製造 |
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京都 花街麦酒 スタイル:アルト 分類:エールビール アルコール分:5% 京都市中京区で製造 |
アルト: 濃色大麦だけで醸造、スッキリ味が特徴 |
旅を振り返って思うこと 回想 |
スタートして神奈川県を出る前から膝や足の甲に違和感や痛みを感じており、これは京都までは無理、チョッと無謀だった? って、弱気になっていた日々がありました。この頃は、悪化したら新幹線に乗って帰ってこよう、一気に踏破できなくてもまた出直せばいいさ、と気を楽に持って歩くように努めました。 静岡県を歩き始めてから、脚やお尻の筋肉痛も出始めました。特に朝起きて歩き出した時が辛い。 せっかくここまで来たのだから、もう1km歩いてみよう。 あぁ、歩けたなぁ。じゃあもう一つ先の駅まで行ってみよう。 オッケー大丈夫、次の宿場まで何とかなりそうだ。 という具合に、鎮痛剤を飲みながら夕食とビールを励みに頑張れたのです。 鎮痛経口薬・湿布・塗り薬を使ったり、降雨によってゆっくり休養できた日があったり、宿泊先でマッサージしてもらったりしながら歩いているうちに、不安だった膝や足の甲の痛みがいつの間にか消えました。 持病の腰痛も発症せず、この調子だとゴールまで辿り着けそうだと思い始めたのが、14日目に中間地点の静岡県袋井宿に到着したときのこと。 しかし、丁度この頃から足の裏にマメができ、前半の脚の痛み以上に長期間に渡ってマメの痛みに悩まされることになります.....。 後半はマメとの戦いと言っても過言ではありません。これは前半の試練であった膝、足の甲の痛みより辛く、毎晩、時には昼間の休憩時間にもマメの手当をしなくてはなりませんでした。facebookの友達には「マメが三つできて ミ・ツ・マ・メ」なんて親父ギャグをとばしていましたが、その陰で家族にはLINEで辛さを吐露してました。三つ目までの痛みがなくなってから、最終的には五つ目まで数を増やしましたが、これらはほとんど痛みが無かったのが救いです。 このように、決して楽な日々ではありませんでしたが、挫折、怪我、事故、体調を崩すことなく初志貫徹できたことで、「これからの人生、まだまだ頑張れる!」という大きな自信に繋がりました。 |
為せば成る、為さねば成らぬ何事も❗
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精神面で大きな支えになったのが
facebook、LINE、Eメールで応援してくれる友達、親戚、家族の存在です。弱気になっている時に受け取った温かいメッセージには何度も励まされました。皆さん本当にありがとうございました。 またこの旅は、普段の生活で当たり前になっているコンビニやATM、スマホ、インターネットなどの文明の利器のありがたさを痛感した旅でもありました。各地のコンビニでは飲み物・食べ物の他、絆創膏、日焼け止めなどの調達だけでなくATM、トイレの利用、店内カウンターがある店舗では椅子に座っての休憩など、大変お世話になりました。江戸時代の旅人に比べると何と楽な旅なのでしょうか。 スマホに入れておいたお気に入りの音楽の存在も忘れてはなりません。宿場と宿場の間の何もない夕暮れの寂しい道では、アップテンポの曲で元気をもらったり、逆にしんみりとした曲で旅愁を深めたり、旅情を演出してくれる無くてはならない存在でした。 |
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このホームページの完成をもって、『Walking the
東海道五十三次』が完結します。 文句一つ言わず送り出してくれ、いつもLINEでエールを送り続けてくれた妻に感謝を捧げてこの旅を終わることにします。家族の存在のありがたさを改めて感じることができ、人生観が変わるほど貴重な経験を積んだ素晴らしい、本当に素晴らしい旅でした。 |
筆者プロフィール |
1961年 1984年 1984年 1986年 1990年 1992年 1993年 1996年 2015年 2016年 2018年 |
北海道札幌市に生まれる(長男・第二子) IT企業に入社・転居(神奈川県横浜市) 転居(神奈川県大和市) 転居(神奈川県秦野市) 結婚・転居(神奈川県小田原市) 転居(神奈川県横浜市) 長女誕生 長男誕生 退職 旧東海道を踏破(敢行時54歳) 東海道検定3級取得 |
宿泊 |